この物語は部分的フィクション
これは隠しておきたい。素直にそう思う。素晴らしく面白くて楽しい話だ。まあ、わかってくれる奴は、方は、本当に数人だが。いや、0人か。んん? 君には難しかったかい? って煽られると腹が立ち、しかしそれをすぐに忘れる。
「正しい努力をしろよ」
そんな風に言われて早20年たちそうだ。胸が痛い痛い痛い。
頑張らない自分は嫌いで、頑張ってる自分は疲れる。
ならどうしていたいんだ?
しんしんと降る雪のような気持が積もって積もってたまらない気分になる。脳を破壊しているのかって。って。破壊された結果素晴らしく面白い考えとやらは僕の頭の中から消えてしまった。さよなら。
髪型を変えて、頭の中から成分を抜く。後ろ向きに考えていたら何も始まらないないて簡単に誰でも簡単にいえることを言うにつれて抽象化は溶けていく。
むりしてむずかしい文章書かなくていいんじゃね? そんなことしてたら疲れるよ。でもそうしないと人に見てもらえない。
溶かしたコーヒーみたいだねって言われたことがある。僕はその時教室の隅で一人うずくまって、じっとチャンスを待っていた。そうして、今思うと全く道を違えていた。こうして差ができた。ほかでもない、あいつと。きっと僕は階段のステージの一番下にいて、だからこそできることもあるのだろうって調子に乗っていたのだ。すべての人は無責任的、無関心的に僕を送り出した。知りたくもない真実は知りたくもないから捨てた。僕には権利があった。様々なものを批判する権利が。もちろん、今でもこれは持っている。ただ、全くと言ってもいいほど使う意味がない。人間的な魅力がないので今日もつまらない。後からついてきてぴったりと僕にくっついて離れなくなるものがあればどれほどよかっただろうか。
漫画は嫌いだ。物語の主人公はいろんな要素がぴったりしていて、僕とは全然違うから。